1980年代 留学日記から

留学生寮の部屋(1984年9月ウランバートル)
留学生寮の部屋(1984年9月ウランバートル)

私のモンゴル17

楽ではない学生生活


 モンゴルでの留学生活の基盤は大学と学生寮。だから、最も身近に接するモンゴル人は学生ということになる。彼らをみていて第一に思うことは、モンゴル人の学生生活は楽ではないということだ。

 朝8時半から午後4時半まで授業がぎっしり詰まっていて、昼食も満足に食べる時間が設定されていない。

 それに「夏の労働」「秋の労働」と、長期にわたって国営農場などに駆り出される。「夏の労働」はまだしも、「秋の労働」は寒くなってくるなか収穫に追われ、かなりきついそうだ。8月に入るとキャンパスでは、作業服姿の学生がトラックに荷積みしている光景が見られる。続々と約1ヵ月間の「秋の労働」に出発していく。何らかの事情で行けない人は大学で清掃作業などをする。

 4回生になると、こうした労働から解放されるが、実習に追われる。とくに農業大学の学生は実習といえども地方の農場や牧地での作業になるから大変だ。

 それから、試験。成績のほどが即、奨学金にはねかえってくるから、学生にとって試験は死活問題だ。

 地方から来ている学生はさらに苦労が加わる。学生寮では10畳ほどの部屋に、2段ベッドが3つ、6人も詰め込まれるし、奨学金だけでは生活は苦しいし、いい勉学条件とは言えない。

 本当にかわいそうな学生たちだと思えるのだが、どうしてどうして、彼らはへっちゃらで、結構楽しんでいるように見える。授業が終わって帰ってきても、部屋で一人じっとしていることはない。あちこちと友人のところを回ってはおしゃべりしていて、概してあまり自主的には勉強しない。ただし、試験前だけは必死に勉強する。そのときも友人同士の結束力は強く、ノート交換が盛んだ。これも上からの締め付けの反動なのか、あるいは大学に入れただけで満足してしまっているからか…。しかし、彼らは決して無気力、無関心な生活態度をとってはいない。むしろ日本の学生より好奇心も意欲も旺盛だ。

 とはいえ、文句ひとつ言わず、上からの命令に従順な彼らを見ていると、自己主張したり要求すること知らないかのようだ。私たち留学生はしばしば、大学当局の官僚主義的なやり方に腹を立て抗議した。たとえば、突然、寮を改修するから引っ越せ、それもひどいおんぼろ寮にしばらく住むようにと言われたとき、もう少し配慮があっていいはずだ、と徹底的に抵抗し学長とも交渉した。ちょうど夏休みで、モンゴル人学生はあまりいなかったが、実習などで残っている人がいた。彼らは代わりの住処もあてがわれず追い出されるので、本当に困りきっていた。

 しかし、これは3年も前の話で、モンゴルの学生も変わりつつあるようだ。最近、工業大学などで民主化を求めた学生デモがあったそうだ。それがたとえ、当局に阻止され外に出られず廊下のデモ行進にとどまったにせよ、大きな進歩である。


(モンゴル研究会会報『ツェツェックノーリンドゴイラン』1989年10月号掲載)