1980年代 留学日記から

ウランバートルの養豚場(1986年3月)
ウランバートルの養豚場(1986年3月)

私のモンゴル12

食料事情④ 新たな挑戦


 モンゴル人の食生活を豊かにするうえで輸入食品の果たす役割は大きい。

 ソ連からのものが最も多く、魚の缶詰、こしょう、ひまわり油、スキムミルク、コンデンスミルク、紅茶、干しリンゴ、干しぶどう、ボルシチの瓶詰め、スープの素、ジャムなどが出回っていた。

 ロシア人ショップ(在モンゴルソ連人用専用店だが、私たち外国人も利用できる。モンゴル人も年間いくらか支払えば入店許可証をもらい利用できる)に出入りできれば、食生活はぐっと豊かになる。この店ではバター、プロセスチーズ、酢、インスタントコーヒー、はちみつ、キャベツの酢漬け、トリ肉の缶詰、わかめサラダの缶詰、チョコレート、ピロシキ、トマトジュース、マヨネーズなどが手に入り、時期によっては冷凍イカ、リンゴ、オレンジ、スモモ、ブドウ、メロンといったものとめぐり合うことも可能だ。

 ほかに、ブルガリアからの輸入品はモモ、サクランボ、ピクルス、グリーンピースなどの瓶詰め、ピーチジュース、トマトケチャップなど。チェコからはウスターソース、おろしリンゴの缶詰。北朝鮮からはコメ、ときにはリンゴの缶詰やミカンも。ベトナムからはパイナップルの缶詰に豆菓子。キューバからは砂糖。中国産リンゴ、西ドイツ産ひまわり油が出回ることもある。

 1986年夏、ソ連産のブドウ、スモモ、アプリコットがよく手に入り、それまで出回っていなかったチェコ産のジュースやジャムなどが店頭に並び、輸入食品が豊富になったという感を持った。

 ところが「これはチェルノブィリのプレゼントなんだ」と事情を知るモンゴル人がささやいた。1986年4月のチェルノブィリ原発事故の影響で「西側」に売れなくなった東欧・ソ連産の食料品がモンゴルに回ってきたのだという。「農業・食料プログラム」の一環だとばかり思っていた私はがっくりきた。やはり、輸入食品は恐ろしい。

 もちろん、自前で食生活を向上させていく努力をモンゴル政府は怠っていない。

 食品工業分野では、食肉や乳製品が不足気味なのは気にかかるが、小麦収穫の安定増産に支えられて、小麦粉、パン、パスタ類、クッキー・ケーキなどの菓子類はふんだんに生産されている。ハム、ソーセージ、牛肉の缶詰、牛タンの缶詰、レバーベーストの缶詰、それに炭酸飲料、飴なども生産している。

 ウランバートルの市内西部にブルガリアの援助による養豚場、ウランバートル西南の郊外には1960年前後に中国の援助で建設された養鶏場が操業されている。ウランバートル郊外やモンゴル西部コブド地方のスイカ栽培も軌道に乗っているようだった。8月から9月にかけてウランバートルでは小ぶりのスイカが店頭に並ぶ。ウズベキスタン仕込みのでっかいコブド産スイカは、残念ながらウランバートルまでやって来ない。他にリンゴ栽培、養蜂業も手がけている。

 酷寒の地ながら、輸入食品に頼りきりになろうとせず、新たな農業・食品工業分野に挑戦していく姿勢に応援を送るとともに、大いに学びたいものである。


(モンゴル研究会会報『ツェツェックノーリンドゴイラン』1989年1月号掲載)