1980年代 留学日記から

国立図書館の前に巨大なスターリン像があった(1986年9月ウランバートル)。1990年2月撤去された
国立図書館の前に巨大なスターリン像があった(1986年9月ウランバートル)。1990年2月撤去された

私のモンゴル18

あの人は今…


 門前に立ちはだかるスターリン像をいまいましく感じながら、国立図書館に通ったものだ。「スターリン批判」が出て以来、世界の社会主義国の諸都市で次々と消えていったスターリン像がこんなにデカデカと立っているなんて、この国の「後進性」を象徴していると思っていた。それが、1990年2月22日、ついに撤去された。最近の民主化運動の高まりのなかで、国民要求を受け入れての人民革命党政治局の決定だという(『朝日新聞』1990・2・24)。

 モンゴルが今どうなっているのか、今後どうなっていくのか、あそこで2年も生活していた者にとっては他人事ではない。いわば第二の祖国みたいなものだ。最近のモンゴル情勢についてのニュースを新聞や映像で見るにつけ思い浮かべるのは、モンゴル人のあの人、この人の顔々。彼なら彼女ならきっと、この動きを歓迎しているだろう、先頭に立ってがんばっているかもしれない。あの人、この人は批判的に見ているのではないか、戸惑っているかもしれない、などと想像をめぐらす。いずれにしても、とくに若者にとっては「世の中おもしろくなってきた」と思える状況であろう。

 モンゴルの学生が当局のいうことに従順で、自己主張がないと述べたが(『ドゴイラン』1989年10月号)、当時でも社会・政治への不満や批判をはっきり言う学生もいた。モスクワの工科大学に留学し一時帰国していたある男性は「ここには自由も民主主義もない、文化的にも遅れている。労働者は怠け者だし…」とぶつけ、日本の急速な工業発展を高く評価していた。私が、日本の勤労者がどんなに疲弊した生活を送っているか、豊かなようで明日への不安が常にある等々と説明しても、「日々の闘い、競争が大切なんだ、生き生きとした人生が送れる」と熱弁する。

 こんなに大胆なことを言う人は稀だが、身近なことをありのままに語ってくれるだけでも、この社会の問題点が自ずとわかってくる。ロシア語大学のある女学生は政治的なことはあまり話さないが、教育実習がどうだったとか、家族のこととか、隠さずしゃべってくれる。彼女のおしゃべりがいいのは、まじめで浮ついていないところだ。日本についても、資本主義だからという先入観をもたずに、実際のところ生活ぶりはどうなのかと興味をもって聞いてくる。

 都会には浮ついた感じの若者も多い。地方から来た学生も都会の空気に影響され気味の人もいて、卒業が近づくにつれ、目の輝きがなくなっていくのを見るのは残念だった。モンゴル国立大学モンゴル文学部のある学生もその一人。卒業を前に彼は「いずれは党(人民革命党)に入りたい」と言う。なぜかと聞くと、「幹部になって、高収入が得られるから」と打算的だ。

 そんな彼も今は目の輝きを取り戻しているのだろうか。2月18日、モンゴル民主党の結成大会の会場まで「<20世紀>学生の自由・権利を」と横断幕を掲げて民主党支持のデモ行進をする学生たちは実にいきいきとしている(『毎日新聞』1990・2・19)。モンゴルではいま、若者が若者らしく主張できる時代になってきた。

 留学当時、よく出入りしお世話になっていた方が先日の手紙の中で、当時中学生ぐらいだった息子のことを「すっかり成長して、自分自身の考え、意見を持つようになりました」と書いてきている。弟の面倒、家事の手伝いをいやがらずによくやり、我慢強くて、勉強好きで賢い彼は期待していた通り立派に成長しているようだ。彼の成長にとって時代はいい方向に向かっているな、とうれしく思った。


(モンゴル研究会会報『ツェツェックノーリンドゴイラン』1990年2月号掲載)