1980年代 留学日記から

「三座山」のナンサルマー役衣装を着たオペラ歌手(1985年7月、ウランバートル)
「三座山」のナンサルマー役衣装を着たオペラ歌手(1985年7月、ウランバートル)

私のモンゴル4

文化・芸能レポート①

オペラ、バレエ、伝統芸能、歌謡曲、サーカス、絵画


 モンゴル人の友人との間でよく出てくる話題は映画、展覧会、コンサートなどだ。「ユムウゼッジュバイノー?(何か見に行っている?」ときたら、あの映画はよかった、今やっている○○展は評判がいいなどと情報交換したり、いっしょに見に行こうと約束したりする。

 私自身「何でも見よう、聞こう」という精神で、催し物広報には必ず目を通し、これはというものについては日時・場所をメモし、できるだけ早めに切符を手に入れておく(これが一仕事になることもある)。幸い、入場料金は安いうえ、時間とエネルギーも備わっていたので、あちこちの劇場や展覧会場によく足を運んだものだ。通常、映画が3トゥグルク、演劇・オペラ・バレエ・コンサートが6トゥグルク、サーカスが5トゥグルク、展覧会が1トゥグルクで見ることができる(ちなみにバスの運賃は1回0.5トゥグルク)。

 日本では一流の興行物を見るチャンスは結構あるが、料金が高い。オペラ、バレエなんてモンゴルで初めてナマで見た。一流を期待せずとも、発展途上にあるモンゴル文化を応援するような気持ちで見て回った。以下は、私が見た限りでのモンゴル文化・芸能についての管見である。


オペラ

 オペラに関しては、D・ナツァッグドルジの「三座山」があまりにも有名だが、期待はずれだった。公演回数を相当重ねてきてマンネリ気味か。同じくD・ナツァッグドルジ原作、1986年初演の「あるラマ僧の涙」も期待したが、メリハリに欠ける。「カルメン」(1986年レパートリー入り)は3時間近くの大作。迫力満点でひきつけられた。


バレエ

 バレエ劇は「白鳥の湖」「くりみ割り人形」「スパルタクス」など一通り見た。モンゴルのプリマ、Y・オヨンは表現力豊かにそつなく踊る。30代前半、2児の母ながら頑張っている。彼女の後に続くようなプリマが出てくるかちょっと心配だ。目が鋭く踊りもピタッと決まっている男性ダンサー、S・オトゴンニャムは私のお気に入り。


伝統芸能

 モンゴルの民謡はのびやかで、舞踊は馬に乗っているような躍動感にあふれている。馬頭琴とあわせて、喉元から多重音声を出すフーミィーもいいが、トブショール(三弦楽器)の低く単調な伴奏によるトーリ(叙事詩の語り)は浪曲のようでおもしろい。

 しかし、何度か見に行っているうちに、もう少し創造性、演出力を出せないものか、と感じてくる。新鮮味を失わずに伝統芸能を育てていくことは難しい。


歌謡曲

 モンゴル歌謡音楽界の中心はバヤン・モンゴルとソヨル・エルデネという2グループだ。スタジオといった感じの小会場でバヤン・モンゴルのレトロな雰囲気のライブを聞いたことがある。モンゴル歌謡曲はいつか昔聞いたような懐かしい響きがある。歌謡曲といっても、歌詞、メロディともまるで民謡のようなものもある。

 モンゴルの若者は歌謡曲やヨーロッパ・ソ連のポップスを聞くと同時に、モンゴル民謡も好んで聞き歌う。ここが日本の若者と違うところだ。


サーカス

 モンゴルのサーカスはなかなかの高水準だ。サーカスがこんなにすてきなものだとは思わなかった。ワクワク、ハラハラ、ゲラゲラ、ほんのりとしているうちに2時間があっという間に過ぎる。合間、合間のコントがとてもうまい。ヤギやヒツジが登場するプログラムを見逃したのは残念。


絵画

 常設の博物館・資料館はもちろんのこと、一定期間の展覧会、展示会もよくのぞいた。美術展、物産展、農業展の他に、「モンゴル映画50周年展」など記念展がちょくちょく開かれている。

 有名画家の個展など絵画展はとくによく見たが、革命前後に活躍したB・シャラブを超える画家はまだ出現していないのではないだろうか。シャラブの絵は何度見ても、そのいきいきとしたリアリズムにしばし、たたずんで見ずにはいられない。

 東ドイツの現代画展をウランバートルで見たことがある。モンゴルのいなかや牧民を描いたものが何点か展示してあった。同じ題材を描いても、モンゴル人の画家のものとはこうも違うものかと驚いた。モンゴル人画家の描き方は、輪郭がくっきり、色調も単純で明るい。ところが、東ドイツ人画家が描き出すモンゴルのいなかの風景は、少しぼやけていて色調も淡く暗く、どこかうら寂しい。これは技術力の違いなのか、感性の違いなのだろうか。

 ある人が言うには、モンゴルの自然自体が単純でくっきりしているのだから、そのようにしか描けないはずだ。モンゴル人画家の方がリアリズムに沿っているとのこと。私は東ドイツ人画家の方がより客観的に深く見ていると思った。抑制された描写の中に生活の重みがにじみ出ている、と感じたからだ。シャラブの描き方とは違うが、これもいきいきとしたリアリズムではなかろうか。


(モンゴル研究会会報『ツェツェックノーリンドゴイラン』1988年4月号掲載)