1980年代 留学日記から

草をはむゴビ砂漠のラクダ(1985年7月ウウヌゴビ県)
草をはむゴビ砂漠のラクダ(1985年7月ウウヌゴビ県)

私のモンゴル11

食料事情③ 農業・食料改善プログラム


 食料生産は国民生活の基礎であること、国民経済の発展は自然条件や社会条件に見合った無理のない健全な方法で進めることという認識が、モンゴルでは国の基本的政策になっているように思う。だから、国をあげて農牧業を守り発展させようと最大の努力を払い、試行錯誤を続けてきた。

 それでも、牧畜業の伸び悩みは解決されず、人口がぐんぐん増えていく都市部での食肉・乳製品不足は深刻化するばかりだ。1985年6月、モンゴル人民革命党第10回中央委員会総会で採択された「農業発展と食料需給改善のためのプログラム」は、こうした問題の画期的な解決策と言える。

 プログラムは一言で言えば、2000年までの食料増産計画であるが、人材育成、地方の文化水準の引き上げ、国民の食生活改善といったことと結びつけながら食料増産を目指している。その手立てとして、行政指導や資金運用のあり方を見直し、地方の生活条件を改善するとともに、個人や企業の副業的農牧業を奨励している。食生活改善の強調と、副業的個人経営の奨励は目新しく興味深いと思った。

 モンゴル人はどうも、食べ物に対しては保守的だ。われわれ日本人のように、何でも食べてみようという意気込みに欠けているような気がする。

 彼らも最近、ようやく野菜を食べるようになってきたとはいえ、いなかではまだ野菜を食べる習慣がない。キャベツなどを栽培しながら、自分の家では家畜のエサにしてしまうことが多いそうだ。野菜は野菜(ノゴー)ではなく、草(ウブス)であり、家畜が食べるものだという意識が根強い。都会の人たちはポテトサラダ(ニースレルサラダ=都会サラダと呼ばれている)や肉のつきあわせ野菜などを食べているようだが、摂取量はわずかなものだ。長い間、主に肉と乳製品を食べて生きてきた民族がジャガイモ、ニンジン、キャベツ、キュウリ、トマトなどの野菜を作り、少しでも食べるようになってきただけでも良しとしなければならないのかもしれない。

 海と山に囲まれた狭い土地に住む日本人は、本当にいろんなものを食べる。気恥ずかしくなるくらい何でもかんでもこまごまと食べる「雑食」民族だ。モンゴル人と生活を共にし、食事を共にしての実感である。

 日本大使館の人からときどき青菜、果物、佃煮、のり、みそなどを分けてもらっていたが、同室のモンゴル人と一緒に食べられるものは果物ぐらい。彼女の目の前で青菜のおひたしをほとんど一人で食べながら、私は「草」を食べているような気恥ずかしさを覚えたものだ。私の誕生日パーティーでちりめんじゃこの佃煮を混ぜ合わせたおにぎりを出したところ、同室のジャルガルサイハンは、ウジが入ったようなその変な食べ物を死ぬ思いでのみ込んだと後日、告白していた。近所の店でときどき、おいしそうなトリ肉やフブスグル湖産の魚が並ぶが、同室者は好まない。

 例の「プログラム」が出て以来、食生活改善のキャンペーン――もっと野菜などいろんなものを食べようという宣伝が始まった。テレビ番組でキャベツを使った料理、肉少々野菜たっぷりの料理を紹介していたし、山で採れるキノコを食卓にと勧めるラジオ番組も聞いた。家庭菜園やニワトリなどの家庭飼育なども奨励されるようになった。ウランバートル近郊の年老いた牧民が、ゲル(テント式住宅)の傍らにひょろひょろ伸びた5、6本のニンニクを指して、「役所の方からうるさく言うんで仕方なく植えてみたよ」となんだか決まり悪そうに言っていたのが印象に残っている。

 ゲルの傍らの家庭菜園、家庭菜園の手入れをするモンゴル人なんて想像しにくいが、現実の光景になりつつあるようだ。彼らの頑固な味覚も変わっていくのだろうか。


(モンゴル研究会会報『ツェツェックノーリンドゴイラン』1988年12月号掲載)