1980年代 留学日記から

ナーダム(祭り)の弓競技(1985年7月、ウランバートル)
ナーダム(祭り)の弓競技(1985年7月、ウランバートル)

私のモンゴル2

ウランバートルの夏

 

 モンゴルの夏祭り、ナーダム(7月11、12日)が今年も近づいている。今、モンゴルは夏まっさかり。だが「ナーダムィン マルガーシュ ボル ナマル(ナーダムの翌日は秋)」とモンゴル人がよく言うように、ナーダムが過ぎると、雨がよく降るようになり、長袖が手離せない。8月に入ると秋風が吹きぬけ、草が黄色味を帯びてきて、一抹の寂しさを感じずにはいられない。

 5月21、22日頃、木々の若葉が完全に出そろい、夏景色に一変してからわずか2ヵ月ばかりで秋に向かう。モンゴル人は短い夏の日々を最大限に楽しむ。


ウランバートル郊外のシャルガモリト避暑地(1986年8月)
ウランバートル郊外のシャルガモリト避暑地(1986年8月)

 ウランバートルの人たちは6月に入ると、続々と近郊の避暑村、別荘地へと移り住んでいく。休暇に入っていようがいまいが、家財道具をトラックに載せて出て行ってしまう。彼らに言わせると街は暑くて、空気も悪いそうだ。子どもの健康のためにも、通勤が不便になるのをがまんして早々と郊外に移った、とある友人が話していた。

 私もウランバートル市街地から北東へバスで20~30分程行ったところのシャルガ・モリトという避暑村を訪れてみたが、なるほどウランバートル市街より涼しく、空気もおいしく、景色もきれいだ。

 しかし、川沿いに建ち並ぶ別荘はどれもこじんまりした小屋としか言いようがなく、設備もあまりよくない。電線が通っているだけで、水道がなく、トイレは少し離れていて共同使用だ。入浴施設はないし、商店はジュースや菓子を置いているスタンドがぽつんぽつんとあるだけで、娯楽施設もほとんどない。

 だから、買出しや何やらで市街地の方へちょくちょく戻る必要がある。避暑村への運行バスは便数が多いが、大抵満員だ。こんなわけで、避暑村で過ごす休暇も何かと雑用があって忙しいのではないだろうか。山や川でのびのびと遊び回っているのは子どもたちばかりだった。

 夏になると、ウランバートル市街地はひっそりする。ウランバートルの人々は避暑村での多少の不便をものともせず、自然の中に身を置いて夏を大いに楽しもうとする。そして、それを保障しているのが1ヵ月間の有給休暇と、安価で利用できる郊外の別荘(各職場が管理している)や各地の休暇施設だ。

 うだるような夏のさなかに勤勉に働く日本人は、モンゴル人の目には驚異的に映るだろう。ウランバートル市街地だって、日本人にしてみれば十分に避暑地たりうるのに、彼らにとっては暑くて空気も汚いとくる。街を歩いていて汗ばむほどの暑さの日は一夏にせいぜい2~3日だったし、空はいつも真っ青だった。

 私は、夏の日暮れ時にウランバートルの街を歩くのが大好きだった。風さわやかで、静かなたたずまいのなかで見る夕暮れ空はうっとりするほど美しい。蒸し暑い大阪でそんな情景を思い出してはため息をつき、郷愁の思いにかられながら、さて、3年ぶりの日本の夏をどう乗りきったものかと思い悩んでいる。

(1987年7月7日筆)


(モンゴル研究会会報『ツェツェックノーリンドゴイラン』1988年1月号掲載)