1990年代

  農耕40年の蓄積はどこへ


穀物輸入国となった90年代

  1984~86年のモンゴル留学時代、食料品店では肉や乳製品は不足しがちだったが、パンや小麦粉などがなくなることはまずなかった。穀物はむしろ最も安定的に生産され自給していた。

  だから、90年代、いくら国営農場が解体し、輸入自由化が進んだといっても、急激に穀物輸入国になったことが納得できない。

  1999年、モンゴルは近代的農耕を始めてから40周年を迎えた。たった40年とはいえ社会主義時代、農耕発展のために国として相当力を入れてきたし、技術も蓄積してきた。農業省農耕研究所編『モンゴル人民共和国の農耕システム』(1976年、ウランバートル)という古い本をめくると、そのことがよくわかる。

  1959年、穀物自給の方針が決定されると、荒れ地でいかに作物を収穫するか、試行錯誤が始まった。ソ連の援助で機械化、人材育成を進めながら、ソ連人農業技術者の助言も受け、その土地、土地に合った品種選定、耕作方法確立に苦心する。

  平原農場の縞模様は苦心のたまものだ。土壌を劣化させないため、年ごとに土を休ませながら輪作する。

  この本には、耕し方から品種、種まき、水やり、肥料、病気のことなど、農耕技術のすべてが詳細に書かれている。土壌保全に特に注意を払っていることに感心した。

  そういう技術の蓄積は今、どこに行ってしまったのだろうか。外国からあれこれ農業支援を受けなくても力はあるはずなのに、と思う。

  だが考えてみれば、「社会主義」時代は国が農耕生産に予算を相当つぎこんできたし、収穫作業などに学生や都会の労働者を動員していた。あの厳しい自然条件にあっては、国の強力な支えなしに、農耕は成り立たないのだろう。

  モンゴル政府は、外国の援助を受けながら農耕業再生に乗り出している。日本政府も第二ケネディ・ラウンド(食糧増産援助)として、農業機械などの購入に97年度4億円、98年度には3億7000万円を援助し、99年度も何十台ものコンバイン、トラクターなどを供給している。

  今はどこでも、持続可能な農業をめざすNGOの国際援助活動が活発だ。また、WTO(世界貿易機関)の次期交渉に向けて、農産物の輸入自由化反対、国内農業を守れという声が世界的に高まっている。自由化の波は厳しいが、モンゴルも日本も、蓄積してきた農耕の実力をもっと発揮できないものだろうか。


<『モンゴル通信』№37(2000年4月、アルド書店)掲載>