1990年代

都会のオアシス、セルベ川(ウランバートル市)
都会のオアシス、セルベ川(ウランバートル市)

1997年夏の印象――モンゴル東部へ2000㌔の旅 (1)

 ぶらりウランバートル


  今年8月、1週間ほどモンゴルで過ごした。調査旅行の通訳として、4年ぶりのモンゴル滞在。大草原の田舎に行ったのは留学時代から11年ぶり。だがスフバータル県まで行ったのも、まして中国国境地域の山に登ったのも初めてのこと。その旅行印象記を何回かに分けて書くので、どうぞ、ご参考に。

 

激動の首都

  まずは首都ウランバートルの印象から。ウランバートルにいたのはたった2日ほどだが、4年前の93年に比べれば、違いは一目瞭然。モンゴル銀行やチンギスハンホテルのピカピカのビルは初めて見る。レストラン、バー、食料品・洋服・コンピュータ・電気製品などのさまざまな小売店があちこちにできている。しゃれたディスプレイの店もある。だが、目当ての本屋は激減した。

  メイン通りでは警察官が交通整理をし、エンフタイワン通りには案内地図の標識が立っていた(韓国の援助による)。道路交通法が改正され、交通警察の取り締まりが厳しくなったためか、都市部では運転手はシートベルトを締め、警察がいないか気にしながら運転しているようだ。

  しかし、町並みは基本的には変わっていない。街路樹いっぱいのこの街は昔同様、いくらでも気分よく歩ける。変わったのは人々の暮らしむきだ。

  かつてよく足を運んだアルド映画劇場にはレストランや両替所などが入りこんでいた。両替所にはブースが並び、「ドル買います」の呼び込み。どのブースも1ドル=800トグルク前後、1円=6トグルク前後で大体同じだ。他に元、ルーブル、マルクなどが両替でき、銀行より率がいい。

  4年前にもインフレの激しさ、物価高騰には驚いたが、まだおさまっていないようだ。本やCD、おみやげなどを買ったらあっという間に数万トグルクがなくなる。4年前、パン1斤70トグルクぐらいだったのが、150前後になっている。月3万トグルク程度の賃金では苦しいどころか生活できない。だから、ほとんどの公務員はビジネス、副業に励む。社会主義時代にもヤミ商人は結構いたが、今はほぼみんなが商売人だ。よく儲ける人もいるそうだ。

  街行く人を見ていても、貧富の差は明らかだ。携帯電話で話しながら歩く人を結構見かけた。女性が個性的な装いでおしゃれを楽しんでいるのも印象的だ。昔からそうだったけれど。

  ストリート・チルドレン、ジュース売りの子どもたちの姿を4年前、見たときはショックだった。今回はあまり目につかなかったが、ストリートチルドレンへの援助は進んでいるのだろうか。

  もう一つ気になっていたモンゴル歴史博物館(政庁の西)は4年前、休館状態だったが、見応えある博物館になっていた。とりわけ目を引いたのが、社会主義時代の粛清犠牲者に関する展示だ。1936~39年に首相を勤めながら粛清されたアマル元首相の服(デール)も展示されていた。1989年末からの民主改革以後のコーナーもある。ただ、もう少し系統だった展示にしてほしい。

  バリルガチン広場のザニバザル美術館を初めて見学した。最近できたようだが、ザニバザルらの作品が常設展示されている。特別展もなかなかいい企画を組むようだ。ちょうど、ある内モンゴル人画家の作品展の準備が進められていた。作品の展示販売コーナーもある。外国人観光客向けなのか、題材はほとんどが遊牧・家畜、歴史ものだ。

  その中からユニークな馬の絵を見つけた。気に入って一枚、手にとると、販売をしていた若い女性が「それ、私の夫の作品です、この辺のが私の」と話しかけてきた。「どれも素晴らしくて選びにくいな」と言うと、バータルさん(女性の名)はとてもうれしそうに「ありがとう」と言いながら、選んでくれた。夫バータルツォグトさんの作品も買い求めた。ハガキ大の大きさで1枚4ドルだった。今、二人の作品は私の部屋で額縁に入って、いい雰囲気をかもし出している。

 

<『モンゴル通信』№27(1997年10月、アルド書店)掲載>