1980年代 留学日記から

アーロール生産 アルハンガイ県イフタミル郡の乳製品工場で(1986年6月)
アーロール生産 アルハンガイ県イフタミル郡の乳製品工場で(1986年6月)

私のモンゴル10

食料事情② 個人的食料流通


 肉はモンゴル人にとって欠かせない。それが都市ではそう易々と口に入れることはできない。いかにして肉を確保するかがウランバートルの人々の最大の関心事だと言っても過言ではないだろう。巷のそこかしこでは、肉の「流通ルート」をめぐる情報交換がとりわけ盛んのようだ。肉、とくに羊肉が出たときの食料品店には長い行列ができる。授業中、大学のある先生が「こうしている間に肉が売切れてしまう」と嘆いていた。

 それでも、彼らは肉をケチったりしない。学生寮ではモンゴル人の同室者と1日交替で料理当番に当たっていたが、肉と野菜の炒めものでも彼女の作るものは野菜入り肉炒めで、私のは肉入り野菜炒めになる。人の家を訪ねてごちそうになったとき(どんな時間帯でも大抵、食事を出してくれる)、肉が少なかったらその家は肉を切らしていると見ていい。

 肉に劣らず大切な栄養源であり、だれもが好む乳製品(ツァガーン・イデー)も都市では不足気味だ。スー(ミルク)、タラック(ヨーグルト)、アールツ(カッテジチーズとクリームチーズの合いの子のようなもので、よく干しぶどうを混ぜ合わせてある)はまあまあ出回っていたが、バターやツツギー(クリームとヨーグルトが混ざったようなもの)やアイラック(馬乳酒、夏のみ)とはめったにお目にかかれない。ビャスラック(チーズ)、アーロール(乾燥チーズ)になると一般の店では買えない(地方に行けば店頭売りしている場合がある)。その名を聞いただけでうっとりするおいしさのウルム(クリーム)に至ってはお金で買えない。牧民の家に行ってごちそうになるしかない。

 モンゴルにいて肉や乳製品が野菜より手に入りにくいとは驚きだが、あらゆる知己やチャンスをいかして、それを克服するウランバートルの人々のたくましさにも驚く。彼らにはいなかの実家や親類、知人といった個人的食料流通ルートがある。でも、いなかが遠方だとままならない。やはり、ウランバートル近郊に家畜を飼っている親類や知人がいるのが望ましい。車があれば尚いい。気楽に訪ねて行って肉や乳製品を分けてもらう。先方は代金など受け取らない。子どもたちに飴や小遣いをあげるだけで充分だ。

 こうして独自に入手した肉や乳製品は店で売っているものよりずっと新鮮でおいしい。店頭にはまがいものが並ぶことすらあるそうだ。

 知り合いのモンゴル人から、店の馬乳酒は買うな、と忠告されたことがある。輸送する運転手から販売店員まで、何人もの人がこっそり横取りしてはミルクなどで埋め合わせしており、店頭に出る頃にはとんでもないシロモノになっているからだという。

 何しろ、馬乳酒はモンゴル人にとって大切なビタミン剤、こよなく愛する地酒なのだから、目の色が変わるのも無理はない。とはいえ、地方への実習旅行のとき、われわれ留学生のことはそっちのけで馬乳酒集めに躍起になり出した引率の先生には辟易した。

 いずれにせよ、食料確保のための個々人の努力には限界がある。モンゴル政府は農業・食料問題をどう解決しようとしているのだろうか。


(モンゴル研究会会報『ツェツェックノーリンドゴイラン』1988年11月号掲載)